岡本城跡
白澤宿(白沢宿)
逆面獅子舞
岡本家住宅
岡本家は、国の指定重要文化財にしてされており、庄屋格組頭と伝えられています。
建てられた年代は、手法からみて18世紀後半と推測されていますが、正徳4年(1714)の護摩札が打ち付けられており、それ以前のものとも考えられます。
この建物の特徴は、茅葺き屋根の2棟が並んだ形で、軒付下には色違いに稲・麦藁を段違いに重ね、小屋梁は細かい曲材を用いています。玄関・客間・座敷等建てられた時のままでよく保存され、長押の釘隠し等もおもしろいものです。ただし、屋根の煙出しは後世のものと思われます。
表門は、県内の上層農家に多い長屋門形式で、入母屋造り、桟瓦葺です。
口碑伝承によると、漢方を主剤とする家伝薬を次々に製薬し、その資料は本県における医療史研究のための貴重な資料となっています。
高尾神社古墳(大塚古墳)
三ツ股かや
羽黒山神社拝殿
羽黒山梵天祭
羽黒山の麓、今里の宿で毎年11月に開催され、五穀豊穣、家内安全を願い羽黒山神社に各地区の梵天を奉納する羽黒山神社の例大祭です。
このお祭りは、五穀豊穣や天候の無事、無病息災などを願って、梵天を羽黒山神社に奉納する盛大なお祭りで、江戸時代中ごろから、収穫を祝い感謝する行事として始められ、約300年以上もの歴史があります。
梵天とは、孟宗竹と真竹を継いだ15メートル程の竿に、和紙やビニールで房がつけられたもので、その梵天を揃いのハッピに白足袋姿の若者が、上河内の中心部から、同地域のシンボルであり、関東平野の始まりと言われる羽黒山(458.2m)の神社を目指して約4kmの道のりを「ホイサ、ホイサ」と担いで登っていきます。
下小倉下組の大杉
天下一関白神獅子舞
天下一関白神獅子舞は、平安時代(延喜年間)から伝承されている郷土芸能です。
毎年8月第1土曜日に関白山神社境内にて奉納されています。
その由来は、天皇より奥州征伐の命を受けた鎮守府将軍藤原利仁公が、この地にやってきて激しい戦いの末にこの地に平和をもたらしました。ところが利仁公は突然病に倒れ亡くなってしまいまいました。そこで、家来の青木角太夫正利と青木左近将監一角が利仁公の亡骸を葬ろうとしたところ突然雲行きが変わり辺りが真っ暗闇になってしまい、葬儀ができなくなってしまいました。二人は、これを悪霊の仕業に違いないと思い、悪霊を退散させるために獅子の頭を天地人の三つになぞらえて作りました。この三つの獅子頭を「御神獅子」と名付けて頭に被り舞を舞ったところ、たちまち黒雲は消え去り、まばゆい日の光が差し込み、無事に利仁公の亡骸を弔って埋葬することができました。以来、一番獅子を青木角太夫正利に、二番獅子を青木左近将監一角に、三番獅子(雌獅子)を利仁公の娘(衣姫)になぞらえて獅子舞が奉納されるようになったという逸話が伝わっています。